ggggame’s diary

読書の感想や、アナデンが中心のゲーム雑記。ガバガバな考察もかいたりします。

読書感想文

青空文庫さんより、谷崎潤一郎の少年を読了。
谷崎さんの小説を読むのは多分初めて。ネットで上げられていた記事のなかに、谷崎さんの作風について「文章としての完璧さがある」と書かれていました(たしか)。
で、読んだ感想。
………………………………性癖の新規開拓…?
いや、うん。そうとしかいえない。
文章表現、とくに読者の心理に働きかけるような、その視点における主人公との感覚との同調。センスそのものでしか表せない、一定の、まさしく天才奇才、文豪のみが手繰れるナニカ。
私は、作者の世界観だとか、登場人物の悲痛、あるいは諦念、哲学、人物評、なんかでそういう「同調」をやるもんだとばかり思ってました。
でも、違いました。もう本当、センスによるものなんだなと思いました。思わされたといえばいいのか…。
手っ取り早く言うと、ただ支配下におかれること、踏みつけられることの受容、快楽。
作り方として考えるならば日常を描き、その上で非日常に入り込み、日常との差異に首をかしげながら、指先をいれ、掌、それから腕、胴、そして。と。披支配者になる。
受容、快楽、受容、快楽。繰り返されたのは4つ。もちろん行間に描かれてもいましたけども、一番にガキ大将にやり、信一にされ、光子にやり、光子にされる。はじめの受容は加虐(目上への暴力という快楽)。
で。一番の問題と思う、初めての披支配。足で踏みつけられ尻を出される、情けない姿。そこに披支配の快楽がある。
なんでここでそんなもん感じるの、って、不思議とならない。むしろ開拓されかけ…げふんげふん、でした。
特別、艶っぽい書き方をしているわけでもない。比喩は少ないし、むしろイーリアスのあのキラキラした、言葉さえ奪われるような描写のそれと比べれば、ただ感じ、浮かんだ言葉を書いているだけ。なのに、快楽であると読者に受容させる。
ありきたりな言葉だから?そもそも、ありきたりってことそのものが書けない。それは言葉を飾り立てたい、ってのとは違う。書く立場だからこそ、飾り立て「なければ」という、急き立てられる感覚がある。
足に魅了される。それは何故?問いながら、「不思議と」と言う言葉を形を変えながら、繰り返して引き込んでいく。
その後の光子の逆転劇はぶっちゃけ興味ないです。
あ、うん、そっかそっかぁヨカッタネ!(^ω^)くらい。

本当、天才ってやつなんだなぁ…と。いや、解き明かして血肉にせにゃいかんのですが。
全体的な作りからくみ解いていかないと…不才は辛いなぁ。

ひとまず非日常へは疑問→快楽(による)→受容。非日常が突飛であるならばなおのこと繰り返す必要があるφ(..)
魅力もないものに対して読者の性癖開拓できるほどの描写能力はどうやったら身に付くのやら…。
少年内では「逃げようとして逃げられなかった」「敗者」「引きずり下ろされる」「縛られる」「逃げようがない」「前例を見せる=緊張の緩和?」なんかも関係ある…のかな?よくわからんなぁ、このへんは。