ggggame’s diary

読書の感想や、アナデンが中心のゲーム雑記。ガバガバな考察もかいたりします。

もやもやーっとな?

もともとゲームやらなんやらの感想だけをかくつもりで、日々の徒然なんかはかかないつもりでしたが、なんか吐き出さないとスッキリしない。
小学校の頃に小説を書くのが好きになって、中学の頃にかけなくなった。ざっと五年ほどですね、小説かいたのは。で、かけなくなってもいつかはまたかけるようになりたいと、人をずっと観察して、ものを色々な角度で見ようと努力を続けた。たぶんそれが原因で洞察力とかは培われたし、人というものがいかに身勝手で面倒なのかはよく理解した。お陰で反吐が出るほど嫌いです、人間は。
半端な理解や偏見、勘違い、思い込みで本当のことから目を背けることとか、納得できればあとはどうだっていいとか、本当嫌い。真実をもとめるのならばあらゆる方向からものを見るべきだし、過去のできごと、歴史なんかを読みあさりながら、どうしてその考えに至ったのか、事前に知る方法はないのか、こうならないようにするにはどうすべきなのか、とか、色々考えるべき。でも人ってそこまで理解しようとしない。それでいいの?と思う。
理解とはなんであるのか?他人がどうしてどういう状況でどういう考えに至ったのか、それの答えがほしいのなら徹底して追い求めるべきで、偏見だ自己の納得だなんざ横においとくべき。それさえしないで求めているのなんて雨乞いすらしないで雨求めてるようなもの。ばかじゃないのと、思う。
そもそもどこまでか自己満足のレベルから脱していないのかすら理解していない人間も多い。
それなのに私正しいこといってるでしょ?とか、あなたのこと理解しててあなたの気持ちと同じこといってるでしょ?とか。それすら自分の尺度から脱し得ていない、独りよがりでしかない。面倒くさい、そういうのと付き合いたくない。
所詮あなたの中の私しか見てなくて、その私と同じだから目の前にいる私と同じである、なんて、傲慢も過ぎるということも理解できてない。面倒くさい。きっとこういう人間は何をいっても理解というものの本質を理解できないだろうなと思うけどもちろん私も理解がなんであるのかはわかってない、理解=断言であり、断言=不正解、の等式かなりたっているから、理解はしたくない。理解ということばでまとめたくないし、理解ということばで終わらせて思考を止めたくない。
…やっぱり人間は嫌いだなぁ。
またつらつらかくかも。
ひとまず、理解は嫌い。答えを求める行動は好きだけど。
哲学者と気が合うタイプなのかなぁ?でもどうだろ、そういう人って結局自分の答え否定してほしくない人も一定数いるし、何より自分が否定してほしくないし。でも、否定はされたくなくても答えは追い求めたいし、他人の答えも尊重したいし、そこにある本質も知りたいし、…うーーん…。
ともかく、同レベルまで物事掘り下げている人であってはほしいなぁ。…いんのかなぁ?